■音楽

■スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

■LOVE ME DO

「ラブ・ミー・ドゥ」発売50年=ビートルズ初のシングル―英(時事通信)

 【ロンドン時事】ビートルズの最初のシングル「ラブ・ミー・ドゥ」がリリースされてから5日でちょうど50年。英BBC放送が関連のドキュメンタリー番組を放映するなど、50年を経た今も話題の的となっている。
 ジョン・レノンとポール・マッカートニーが作詞・作曲を手掛けた同シングルは、1962年9月にアビイ・ロード・スタジオで収録され、同年10月5日に英国で発売された。国内チャートでは最高17位にとどまったが、その後の世界的なビートルズ人気の布石となったとされる。

 
 [LOVE ME DO]でいつも思うこと。


 ①よくもまあこのあと[PLEASE PLEASE ME]を生み出したなと。
 ぼくはこの「変化」をビートルズのターニングポイントの一つに数えています。


 ②この曲から[TOMORROW NEVER KNOWS]までなんと3年半という事実。
 この変化進化はやはり、彼らがいかにスーパーでスペシャルであったかという証左だと。
スポンサーサイト

■Julian Lennon - I Don't Wanna Know

オヤジがクレイジーなレベルでワールドクラスなためか
色々としんどいだろうジュリアン。

彼の音楽のレベルは相当高い。
寡作のレベルの中々のものだが。。。

さて、そのジュリアンのビートリーな一曲。
このクリップもラットルズ風。

まあ彼も楽しんでます。


正直、もっともっと評価されても良いアーティストです。

■Mark Knopfler Money for nothing live Prince's trust 86


これははまった。
ダイアー・ストレイツの[Money for Nothing]
クレジットはフロントマンのマーク・ノップラー。

実際にはまったのはプリンス・トラスト10周年ライブヴァージョン。

ヴィデオクリップで有名なスタジオ版より、
個人的にはライヴ版に軍配に上げる。

しかししぶい!


このライヴは、
敬愛するポール・マッカートニー(もちろんトリ)の参加で萌えた'86年のもの。

周りのお歴々に比べると
まるで子供見えるブライアン・アダムスの嬉しそうな表情が印象的。

この模様を収めたライヴアルバムは中々の面子の
中々の演奏でかなり良い出来になっていると思います。

■ユニコーンLIVE2009 PTA~光のネットワーク~

 2009年て最近やん(笑)・・・まあおっさん尺度からするとね。
 ユニコーンのあの往年の名曲[PTA]が現代によみがえった。

 あの○室系の曲をこれだけの構成力で聞かせるのは[PTA]を持つユニコーンくらいではないか。

 ちょいと気になって[音楽]カテゴリを見てみたら多くがリンク切れ。
 ちゅうことで[続かないけど]気になる曲、今でも名曲とかをどんどん[ウソ]アップします。


PTA ユニコーン

■妖怪人間ベム ~ベラ ボサノバver.~


当たりやねこれ。

■やろ

 忘年会の二次会で(ぼくは歌わないが)社長いきつけのスナックへ。
 そこでひと回りは若い後輩が「マクロス」だと言うのでどれどれと。。。



 知らん!!

 やっぱりマクロスっちゅうたらコレ↓やろ。
 リン・ミンメイやろ。

 この完成度、まさにデ・カルチャーやろ。

■限定

日本のロックも捨てたもんやないんやで
(色々と限定せんといかんけども)

■期待できん

交渉1年超、映画『ノルウェイの森』主題歌にビートルズ「ノルウェーの森」(オリコン)

 作家・村上春樹の大ベストセラー小説『ノルウェイの森』を、20年以上を経て初めて映像化した同名映画の主題歌に、ザ・ビートルズの「ノルウェーの森」の原盤を使用することが決まった。ビートルズのカバー曲が使用されることは多々あるが、邦画の主題歌に原盤の使用許可が下りることはほぼないと言われいた。しかし、1年以上にわたる交渉が実を結んだ小川真司プロデューサーは、「原作では冒頭でビートルズの曲が流れ、主人公のワタナベはそれまでの出来事のすべてを振り返り、時の流れを思い起こします。映画で生のビートルズのメロディを聴くと、原作の大人になったワタナベのかき乱されるような感情を実感できると思います」と確かな手応えを得ている。

~中略~

 原作を知る者なら、「原盤を起用するのは必然的なことでした」というトラン・アン・ユン監督の言葉にも納得するに違いない。しかし、現実は「村上さんから映画の許諾をいただくのと同じぐらい、ビートルズの原盤を使うのは難しい」ことだったと小川プロデューサー。

 ビートルズの日本の窓口を務めるEMIミュージック・ジャパンの藤村美智子シニアプロデューサーも「さまざまなビートルズ楽曲使用に関するオファーをいただきましたが、実現したことも、実現に近づいたことさえもなかったので、今回の主題歌使用に許諾が出たことは、正直大変驚きました」とコメントしたほど。英EMIの担当者が原作を読んでいたという話もあり、村上氏の存在感がさまざまな形で映画を後押ししているのかもしれない。

 トラン監督によると、「観客が、たった今体験したドラマの余韻に浸るための空間作りが出来るように、特定の場所にこの曲を使用しました」とのこと。同作は世界配給の予定もあり、ビートルズの演奏によるオリジナル楽曲を主題歌に使用した日本映画は国際的にも話題を呼びそうだ。映画『ノルウェイの森』は12月11日(土)より全国公開される。


 あのー冒頭主人公が聴くのはたしかドイツかどこかの空港に着陸するときに流れていた、BGMとして<オリジナル>ではない「ノルウェイの森」だったと思うのですけど・・・

 確かにFAB4の原盤が使われることは非常に珍しいこと。
 でも村上春樹の「ノルウェイの森」はFAB4の「ノルウェイの森」とはまったく違う。あの一種感じる退廃的な気だるさだけが雰囲気として合うという程度なものだ。
 トラン・アン・ユン監督(え?日本人監督じゃないの?)の言う「必然」もまったくない。むしろ原盤でない安っぽい「ノルウェイの森」ほうがしっくりくる。主人公が聴いたのはその安っぽい方だからだ。
 その主人公と同じように安っぽい方を聴き、自己意識下のみで原盤を重ね合わせた過去の(そこそこ波乱に満ちた)ストーリーを再生する。映画の世界を体験するにはナマの原盤はまったく必要ない。ちなみに原盤を知らないなんてのはハナからお話にならない。知った上での話しだ。

「たった今体験したドラマの余韻に浸るため」に「特定の場所」に使用したそうだが、エンディング・ロールだとしたらなおさら意味が無い。日本人以外ほとんど見る人はいない。村上氏も見ない。
 サントラの売りだけを見ているとしか思えないのだ。こういうのって。これを村上氏が是としたかどうか・・・甚だぼくは疑問に思う。彼自身、例のスマップのパクリ事件でその業界の体質にNOを主張していたのを覚えている方も多いだろう。

 そういうのもあって、ぼくはこの映画は見ない。期待はずれ間違いないし、そこにザ・ビートルズに対する「愛」を感じないから。
 ただ「突撃隊」を誰がどのように演じるか、それだけには多少興味が・・・無いと言えば嘘になる。

■冗談じゃない!

岩崎宏美、盗作「冗談じゃない!」 万博ソング問題に怒り

 岩崎宏美 歌手、岩崎宏美(51)が25日、東京・立川市市民会館でデビュー35周年記念ライブを行った。「聖母たちのララバイ」のほか歌手、岡本真夜(36)に作詞作曲してもらった「手紙」など17曲を披露。

 岡本は今、自曲が上海万博PRソングに盗作された疑惑の渦中にあるが、岩崎は「自分がもし作った曲を盗作されたら、『冗談じゃない!』と怒ります。でも、ブームにもなるんですね」と不思議そうな面持ちだった。


 ほんまやで。
 岡本真夜もなんで許可しとんねん。相手は中国人やぞ。
 音楽を作る才能はあってもアホはアホ。アホならアホなりに自分のクリエイティブな仕事の成果を保護すべく手をうっておかんとイカンのに。非常に今の日本人らしい(←それをボケたと言われてる)。
 相手(中国人)のことも見えてない人間が書く詞など、イマジンお花畑だけの世界であろう。どういうモノかこれでタカが知れた。聴くまでも無い。

 やつらはバレたから仕方なしに「使うけど」と言う。礼も信も何もあったもんやない。
 しかも逆ギレしとるそうやないけ、あちらの中国人。こういうのを人の皮を被ったケモノと言うのだ。


 ほんでもって一番納得でけへんのは、それに便乗してCD売り出したりするカネカネキンコ主義の業界。そしてそんなんを買うウルトラ級のアホ購買客(日本人)。

 結局、こういう連中が「音楽」というものをダメにしているんだと思う。

 自分達の「創作」を守りたいなら、ここで断固反対の立場を取るのがクリエイティブな世界に生きる者の努めではないのか? そこに誇りは無いのか? あんたらの作品はそんな程度のモノなのか?

■有名税?

【海外こぼれ話】ヘルプ?

 米サンディエゴでビートルズの物まねバンドでポール・マッカートニー役を演じていた男が、2008年に犯した酒気帯び運転で出頭しなかった容疑で生番組出演直後に警察に逮捕された。

 警察は逮捕状が出ていた男が同バンドで演奏しているとの情報を入手。インターネットのバンドのページで番組出演を知り、演奏終了後にスタジオの外で逮捕した。バンド名はビートルズのヒット曲にちなんだ「ヘルプ!」だった。(AP=共同)


 こぼれ過ぎの話です(笑)

 このポール役のおっさんも、まさか極東の島国で自分の逮捕が報じられているとは夢にも思わんでしょう。

 ちなみに「ヘルプ!」は文句なしに良い曲。

■天才日本人の力を借りて

 良い話なんで全文引っ張り(^^;
 
 上原ひろみオフィシャルサイト「24 - TWENTY FOUR」

ベルンの人達と、至福な5日間を過ごした後、
私は、チューリッヒ空港にいた。
グルジアに向かうためだった。
思えば、去年の秋頃、
「You will be playing in Georgia」というメールを受け取り、
最初、ジョージア州で演奏するのだと思っていた。
そのうち、私の行くGeorgiaは、アメリカのジョージア州ではなく、
元ソビエト連邦だったグルジアらしい、という事に気づき、
外務省の海外安全情報ページを調べたり,
グルジアの日本大使館に連絡したりして、安全を確認した。
少し前まで、ロシアと紛争があった国、という事しか知らなかった私は、
最初、行こうかどうか、本当に迷ったけれど、
日本大使館や各方面の方々が、「首都は安全です」と言っていたのもあって、
行く事を決めた。


そして決まった、初めてのグルジアでのライブ。
2月15日。
ベルンからチューリッヒまで車で1時間半。
チューリッヒから、ミュンヘンまで、飛行機で1時間。
ミュンヘンから、グルジアの首都トビリシまで、飛行機で約4時間。


ミュンヘンートビリシのフライトは、一日一本しかなく、
なぜか夜9時発、朝4時着というもので、
(トビリシーミュンヘン間の時差は3時間)
到着したのは、ライブ当日、2月15日の朝4時だった。
飛行機から降りて、普通はパスポートコントロールまで歩くのだが、
降りたらすぐ,
「HIROMI」と書いた紙を持っている客室乗務員が立っていた。
こちらへどうぞと言われ着いて行くと、車が待っていた。
車で、VIP PASSPORT CONTROLという所に連れていかれて、驚く。
ハリウッドスターのような気分になったのも束の間、
手続きが終わり、なぜか外に出るのに、セキュリティチェックが行われ、
国の情勢を感じる。
サプライズは、まだここでは終わらなかった。


空港の到着玄関口をくぐると、朝の4時半だというのに、
何台ものテレビカメラが、待っていた。
プロモーターの人から、グルジアのテレビ局が、
ドキュメンタリーテレビを撮りたいと言っていると聞いていたので、
一台はいるだろうと思っていたけど、
たくさんのマスコミは、予想の範疇を超えていた。
こんな事は、人生で初めてだったので、あまりにびっくりして、
私は、きっと口をあんぐり開けて、
まぬけな顔でテレビに写ったに違いない。
レポーターが、覆いかぶさるように次々と質問してくる。
そして、口々に、みんなが言った。


『Why did you come to Georgia?』


これを直訳すると、なぜグルジアに来たのですか?になるけれど、
彼らの言い方も含め和訳すると、
「一体全体、どうして、グルジアに来る事を決めたんですか!!??」
というニュアンスだった。


聞かれた私が、びっくりして、
「演奏させてもらえると聞いたので」
と言うと、さらに質問が続いた。


「あなたのグルジア前の最後の公演は、ベルン。
その後、すぐにモントリオールで公演があります。
そんな、タイトスケジュールの中、
なぜはるばるグルジアまで来る事を選んだのですか?」


朝5時
私の頭はちんぷんかんぷん。
長旅の上、さらに立て続けに、質問が続き、理解不能になっていた。
この質問にも、
「15日にグルジアで演奏できると聞いて、
14日にベルンを出て、15日にグルジアに着いて演奏し、
16日にグルジアを出れば、18日のモントリオールには間に合うと思ったので」
と、答えてしまった。
「そんなスケジュールで普通来ませんよ」と言われ、
「でも、なるべく演奏したいので」と言って、やっとわかってもらえた。


さらにいくつか質問が続き、
とにかく、グルジアまで来る事が、通常ではないようだ、という事を、
なんとなく理解して、ホテルへ車で向かった。


車の中で、今回のイベントの責任者がこういった。
「明日のライブは、大統領夫人が見えられます。
それと、ロシアの話はあまりしないでください。
ロシア語も、グルジア語ではないので、混同して使わないでください」


10秒くらいの短い文章の中に、どれだけびっくりさせられるか、
この人はわかっているのだろうか、と思った。
大統領夫人が、どうして来るのだろうか?と思ったし、
ロシアとの情勢についても、さらっと説明された。


頭の中は、まったく整理できず、
ホテルにも、カメラがいて、よくわからないまま、部屋にチェックイン。
まるで、どっきりカメラだ。
もう、時間は朝5時半を回り、昼の1時半には、
日本大使館に向けて出発する事になっていたので、とりあえず仮眠。


午後2時、日本大使館到着。
サプライズがあるのよ、と大使夫人がおっしゃり、3階まで連れていかれたら、
グルジアの伝統的コスチュームに身を包んだ男性が8人、並んでいた。
そして、わけもわからないまま、椅子に座ると、
男性が、歌を歌いだした。
5曲程歌ってくれた後、
「ひろみがグルジアまで来てくれたので、お祝いの歌をプレゼント」という、
イベンターさんからのはからいだったと知る。
その後も、アンコール(?)で「長生きする歌」を歌ってくれた後、
ランチをご馳走になり、
大使から、グルジアには日本人が17人しかいない、という事や、
今回、Japan Weekというのを開催して、
日本の映画をいろいろ上映する事で、日本という国を、
グルジアの人にもわかってもらえる機会を作ったという話を聞く。
グルジアの人には、日本人は未知の世界なのだ。
なんで、ここまで来たのか、と散々聞かれたのも、なんとなくわかる。


そんなうちに、3時を回り、
4時のサウンドチェックに向けて、大使館を出発。
まさに分刻みのスケジュールだ。


コンサート会場に着いて、劇場の美しさに息をのむ。
今日ここで演奏できるのかと思うと、鳥肌が立った。
そして、30分間の現地のメディアとの記者会見。
テレビやラジオや新聞や、いろんな媒体に、やはり何度も聞かれた。
「なぜ、グルジアに来たのですか?」


それから、サウンドチェック。
ピアノを触り、状態を見て、調律師のおじさんに、いろいろ注文を出す。
おじさんは、グルジア語しか話さないので、
コミュニケーションは、ジェスチャーでしか、通じない。
「この鍵盤の(音を鳴らす)、弦は(指を指す)、
嫌な音がします (耳をさして、嫌な顔をする)」
伝えた事がわかると、おじさんが笑顔で、
おじさんは、とても良い人だった。
言葉はひとつも通じなかったけど、私が寒そうにしていたら、
自分の着ていたジャケットを脱ぎ、私にかけようとしてくれた。
会場で、会う人たちは、みんなとても優しい人達ばかりで、
おなかはすいてないか?寒くないか?何か必要なものはないか?と、
とにかく何度も声をかけてくれ、優しさが心にしみた。
お互いの言葉を教え合って、マドゥロバ(ありがとう)、と話した。
「世界ふしぎ発見」のようだった。


7時開場。8時開演。
そして、いざステージへ。
立ち見もいっぱいの、4階まで満席の会場。
初めて来た国の、初めて会う人達。
それを見た瞬間、体のエネルギーが、フルチャージになる
1曲目を弾き終わった瞬間、ブラボーという声とともに、会場が熱気に包まれた。
毎日、その場所でのお客さんとの可能性は、
この瞬間にかかっているといっても、過言ではない。
とりあえず、掴んだ。通じた。繋がった。


覚えたてのグルジア語で、本当にありがとう、と伝える。
ディーディーマドゥロバ。


1曲1曲、まるで自己紹介でもするように、
会場のひとりひとりに向けて、心をこめて、演奏をした。
第一部が終わったときには、拍手が鳴り止まず、
「第二部もあるって、お客さん知ってますよね?」と、
責任者の人に確認したくらいだった。


第二部が始まり、まるで渦を巻くように、
会場がひとつになっていく。
最後の曲が終わった瞬間、一番上の4階まで、総立ちになって拍手
してくれた。


今朝まで足を踏み入れた事がなかった国。
来るかどうか、迷った国。
そこで、出逢った人達が、みんな笑顔で拍手してくれている。
声を上げてくれている。


普段なら、これで、感動して終わるとこだろう。
でも、サプライズに満ちたグルジアは、そうは問屋がおろさない。
深々とお辞儀をして、ステージ脇に帰ろうと思ったその瞬間の事だった。


なんと、昼間大使館で見たグルジアの民族服を来たコーラスグループが(違う人達)、
ステージに立っていたのだ。
私がお辞儀している間に、彼らがステージに出て来ていた事など、
気づく由もなく、びっくりして、うわ!といって、のけぞってしまった。
この間抜けな姿を見て、観客は大笑い。
本当に、どっきりカメラみたいである。


「もしかして、グルジアでは、コンサートの最後に、歌を歌う習慣が!?」と、
パニックしながら、なんとか頭で勝手に理解し、
そそくさとステージを後にすると、お客さんは笑い続けるし、
袖に帰ったら責任者の人に、
「ひろみへの感謝を歌うために、出てきたのに、
あなたが戻って来て、どうするのよ!」と言われ、
(そんなの、わからないよー)と心で叫びながら、
また、そそくさと舞台に戻って笑われる。


2時間にわたるせっかくの演奏を、
台無しにしたかのような失態はさておき、
歌が始まる。
それはそれは勇壮で、おなかの底から、声というエネルギーを通じて、
元気をくれるような歌だった。


そして、終わると、お客さんが、また拍手をして、
今、歌ったのは、コーラスグループの人なので、私も拍手をしていたら、
コーラスグループの人も、なぜか私に拍手をしてくれた。
観客の拍手は、どうやらねぎらいの意味で、
私におくられていたものらしく、
私のとんちんかんな行動で、またお客さんは笑っていた。


朝から、いっぱいいっぱいだったんだろう。
分刻みのスケジュールもしかり、
短い間ながら、一生懸命、
習慣や文化や考え方を理解しようと思うのもしかり。
なぜか、テレビ局がたくさん取材に来た理由も、
日本人だけでなく、
外国人がグルジアにライブをしに来る事自体が、
本当に珍しいからと知った私は、
日の丸を背負っているような気持ちになった。
日本人が17人しか住んでないのなら、
観客が、初めて体験する日本人との文化交流なのかもしれないと思った。


この間まで戦争やクーデターが絶えなかったこのグルジアで、
人が笑顔になっている。
しかも、自分の音楽でだ。
これほどの幸せはない。
主催者の人たちも何度も「ここまで来てくれて、ありがとう」と言い、
コーラス隊を用意したり、出来る限りのもてなしをしてくれた。
お客さんも、みんなそれを微笑ましく見守ってくれた。


コーラス隊がステージを去り、鳴り止まない拍手を前に、
私はピアノに座った。
そして、英語が通じるかはわからないけど、どうしても伝えたくて、
マイクを持った。


「今朝4時に到着して、明日朝4時に出発する。
たった24時間の旅のために、どうしてここに来たか、と
今日何度も聞かれました。
でも、今、どうしてか、それがよくわかりました。
本当にかけがえのない瞬間で、感動して・・・」


話していて、言葉に詰まり、涙が止まらず、
言いたい事を言い終えられないなんて、
生まれて初めてだった。
泣きながら話しても、仕方ないので、とにかくピアノに向かった。
渾身の、Place to be。
新しい居場所を見つけた喜びそのものだった。


演奏し終わり、また総立ちになった会場に、深々とお辞儀をした。
泣いている人が、たくさんいた。
おじさんも、おばさんも、泣いていた。


アンコールを終えてもまだ拍手が続くと、
私は、いつもまた弾く傾向にある。
続く拍手が、「もっと!」という声に聞こえるからだ。
ステージに、再度登場したとき、私は、演奏しようと思わなかった。
こんな事も初めてだった。
別に疲れていたわけではない。
弾こうと思えば、まだ何曲だって弾けた。
でも、そのとき見た会場中の人の顔は、
本当に満たされた顔で、何とも言えない笑顔で、
「出逢えて良かった」という言葉が、会場中から降ってきているようだった。
さっき演奏したPlace to be以上、もう伝える言葉がないと確信した。
そして、「出逢ってくれて、ありがとう」と深くお辞儀をして、ステージを後にした。
それはまるで、お辞儀と拍手で、固い握手を交わし、
また来るよという約束をしたようだった。


ステージ裏に戻っても、涙が止まらなかった。
こんな事も初めてだった。
いろんな人と言葉も交わさず、ハグをした。みんな泣いていた。


あまりの感動に、ぼーっとするも束の間、
3時には、ホテルを出発するので、
お風呂に入って、ストレッチをして、荷造り。
そしたら、もう3時になっていた。


空港に着いて、この24時間に起きた事が信じられなかった。
24時間という時間の使い道には、いろいろある。
この24時間は、これ以上の使い道はなかったと言い切れる。


空港で、ライブの責任者や、協力してくれた人達が見送りに来てくれた。
みんな、目に涙を浮かべている。
固いハグをして、また帰ってくると誓った。
涙あふれる24時間。
一生忘れない。


■トイレの神様

トイレの神様/植村花菜






 ぼくもかなりおばあちゃん子だった。

 だから「おばあちゃん」、これだけなのに泣けてしまう。


■篤志家さん、いらっしゃーい

「いらっしゃーい」は某大師匠のように「い」に特大アクセントを付けてお願いします(笑)

アビイ・ロード・スタジオ売却へ=ビートルズゆかり-英紙(時事通信)

 【ロンドン時事】ビートルズがレコーディングに活用し、数々の名曲を生んだ英ロンドンの「アビイ・ロード・スタジオ」が、親会社の音楽大手EMIグループにより売りに出されていることが分かった。16日付の同国紙フィナンシャル・タイムズが報じた。
 EMIは販売不振で深刻な経営難に陥っており、数千万ポンド(1ポンド=約141円)に上るとみられる売却収入を、自社の運転資金に充てたい考えだ。
 同紙によると、ビートルズは1962~69年に約9割の曲を同スタジオで録音。ピンク・フロイドなどの著名アーティストも好んで利用した。ただ近年では、利用料が割安で技術的に優れた他国のスタジオとの競争にさらされており、EMIが高価な施設を保有する理由が薄れていたという。
 スタジオの名称は通り名に由来し、スタジオ前の横断歩道では、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真も撮影された。

 
 なんか寂しいが、時代の流れなのかもしれませんね。
 あの場所に、あの横断歩道とスタジオがあってこそなんですが、これはもうスタジオを博物館化するくらいしか残す道はないのかもしれません。簡単な録音アトラクションというか、録音施設も残せば、巡礼者だけではなくて普通に観光地化できるかもしれない。
 場所は住宅地ではあるが、やはりあそこは特別な場所なのだ。ぼくにとっても。


 ひとつ。
「スタジオの名称は通り名に由来」とありますが、これは間違ってると思います。
 正確には、スタジオの名称はアルバム「アビイ・ロード」に由来し、そのアルバム名が通り名に由来している、ということだったと思います。もともとはただのEMIスタジオだったはずです。

■また青春が

ザ・ナックのボーカル、ダグ・ファイガー氏が死去

 AP通信によると、米ロックバンド「ザ・ナック」のリードボーカル、ダグ・ファイガー氏が14日、ロサンゼルスの自宅で死去した。57歳。マネジャーが明らかにした。6年間、がんで闘病生活を送っていた。

 米デトロイト出身。78年にロサンゼルスでザ・ナックを結成。翌年、同バンドの仲間と共作し演奏した「マイ・シャローナ」が大ヒット。06年には同曲をブッシュ大統領(当時)が携帯音楽プレーヤーのiPod(アイポッド)にダウンロードしていることが米紙で報じられ、再び脚光を浴びた。(共同)


 びっくりした。まだ若いやん。。。


 ぼくらの世代の洋楽ファンはこの「マイ・シャローナ」を持つことは一つのステータスだった。
 上の世代はレコードだったし、同年代以降は売れただけのJポップと似非ブラックばかりだし。
 そのレコードは中古しかなく、結構高い。日本版のCDもまだ発売されていない。そういう時代だった。

 ぼくは日本橋の輸入レコード屋(CDも扱っている)で4000円くらい+消費税出して、解説も何も無い、ジャケットだけのCDを買ったのだ。テープでは友人に録音してもらったのがあったが、やはり「所有」したかったアイテムだった。

 一発屋と認知されているが、ファーストアルバム全体を聴くと、ストレートな上質の(ちょっと尖った)ロックンロールを演るバンドだなと思う。
 「マイ・シャローナ」は逆に浮いているように感じるが、これがバカ売れしたために道が外れてしまったんだろうと思う。それほどメジャーになるべき存在ではなかったのだろうかなと思う。


 ダグ・フィガー(ぼくはそう呼んでいた)さん、良い音楽をありがとう。
 ご冥福をお祈りいたします。

ファーストアルバム[GET THE KNACK]から1曲目の[Let Me Out]

■スィートホーム大阪

住めば都と申します

Blue Ribbon News

ブログ内検索

賛同

有害指定?

キッズgooはじかれサイト同盟
当ブログはキッズgooにより
なんと有害指定されています

NO MORE ASAHI!

朝日新聞購読拒否
ネタ以外で朝日新聞は読みません

文楽みくじ

「小倉百人一首」

問い合わせ先

カウンター

ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。