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■天才日本人の力を借りて

 良い話なんで全文引っ張り(^^;
 
 上原ひろみオフィシャルサイト「24 - TWENTY FOUR」

ベルンの人達と、至福な5日間を過ごした後、
私は、チューリッヒ空港にいた。
グルジアに向かうためだった。
思えば、去年の秋頃、
「You will be playing in Georgia」というメールを受け取り、
最初、ジョージア州で演奏するのだと思っていた。
そのうち、私の行くGeorgiaは、アメリカのジョージア州ではなく、
元ソビエト連邦だったグルジアらしい、という事に気づき、
外務省の海外安全情報ページを調べたり,
グルジアの日本大使館に連絡したりして、安全を確認した。
少し前まで、ロシアと紛争があった国、という事しか知らなかった私は、
最初、行こうかどうか、本当に迷ったけれど、
日本大使館や各方面の方々が、「首都は安全です」と言っていたのもあって、
行く事を決めた。


そして決まった、初めてのグルジアでのライブ。
2月15日。
ベルンからチューリッヒまで車で1時間半。
チューリッヒから、ミュンヘンまで、飛行機で1時間。
ミュンヘンから、グルジアの首都トビリシまで、飛行機で約4時間。


ミュンヘンートビリシのフライトは、一日一本しかなく、
なぜか夜9時発、朝4時着というもので、
(トビリシーミュンヘン間の時差は3時間)
到着したのは、ライブ当日、2月15日の朝4時だった。
飛行機から降りて、普通はパスポートコントロールまで歩くのだが、
降りたらすぐ,
「HIROMI」と書いた紙を持っている客室乗務員が立っていた。
こちらへどうぞと言われ着いて行くと、車が待っていた。
車で、VIP PASSPORT CONTROLという所に連れていかれて、驚く。
ハリウッドスターのような気分になったのも束の間、
手続きが終わり、なぜか外に出るのに、セキュリティチェックが行われ、
国の情勢を感じる。
サプライズは、まだここでは終わらなかった。


空港の到着玄関口をくぐると、朝の4時半だというのに、
何台ものテレビカメラが、待っていた。
プロモーターの人から、グルジアのテレビ局が、
ドキュメンタリーテレビを撮りたいと言っていると聞いていたので、
一台はいるだろうと思っていたけど、
たくさんのマスコミは、予想の範疇を超えていた。
こんな事は、人生で初めてだったので、あまりにびっくりして、
私は、きっと口をあんぐり開けて、
まぬけな顔でテレビに写ったに違いない。
レポーターが、覆いかぶさるように次々と質問してくる。
そして、口々に、みんなが言った。


『Why did you come to Georgia?』


これを直訳すると、なぜグルジアに来たのですか?になるけれど、
彼らの言い方も含め和訳すると、
「一体全体、どうして、グルジアに来る事を決めたんですか!!??」
というニュアンスだった。


聞かれた私が、びっくりして、
「演奏させてもらえると聞いたので」
と言うと、さらに質問が続いた。


「あなたのグルジア前の最後の公演は、ベルン。
その後、すぐにモントリオールで公演があります。
そんな、タイトスケジュールの中、
なぜはるばるグルジアまで来る事を選んだのですか?」


朝5時
私の頭はちんぷんかんぷん。
長旅の上、さらに立て続けに、質問が続き、理解不能になっていた。
この質問にも、
「15日にグルジアで演奏できると聞いて、
14日にベルンを出て、15日にグルジアに着いて演奏し、
16日にグルジアを出れば、18日のモントリオールには間に合うと思ったので」
と、答えてしまった。
「そんなスケジュールで普通来ませんよ」と言われ、
「でも、なるべく演奏したいので」と言って、やっとわかってもらえた。


さらにいくつか質問が続き、
とにかく、グルジアまで来る事が、通常ではないようだ、という事を、
なんとなく理解して、ホテルへ車で向かった。


車の中で、今回のイベントの責任者がこういった。
「明日のライブは、大統領夫人が見えられます。
それと、ロシアの話はあまりしないでください。
ロシア語も、グルジア語ではないので、混同して使わないでください」


10秒くらいの短い文章の中に、どれだけびっくりさせられるか、
この人はわかっているのだろうか、と思った。
大統領夫人が、どうして来るのだろうか?と思ったし、
ロシアとの情勢についても、さらっと説明された。


頭の中は、まったく整理できず、
ホテルにも、カメラがいて、よくわからないまま、部屋にチェックイン。
まるで、どっきりカメラだ。
もう、時間は朝5時半を回り、昼の1時半には、
日本大使館に向けて出発する事になっていたので、とりあえず仮眠。


午後2時、日本大使館到着。
サプライズがあるのよ、と大使夫人がおっしゃり、3階まで連れていかれたら、
グルジアの伝統的コスチュームに身を包んだ男性が8人、並んでいた。
そして、わけもわからないまま、椅子に座ると、
男性が、歌を歌いだした。
5曲程歌ってくれた後、
「ひろみがグルジアまで来てくれたので、お祝いの歌をプレゼント」という、
イベンターさんからのはからいだったと知る。
その後も、アンコール(?)で「長生きする歌」を歌ってくれた後、
ランチをご馳走になり、
大使から、グルジアには日本人が17人しかいない、という事や、
今回、Japan Weekというのを開催して、
日本の映画をいろいろ上映する事で、日本という国を、
グルジアの人にもわかってもらえる機会を作ったという話を聞く。
グルジアの人には、日本人は未知の世界なのだ。
なんで、ここまで来たのか、と散々聞かれたのも、なんとなくわかる。


そんなうちに、3時を回り、
4時のサウンドチェックに向けて、大使館を出発。
まさに分刻みのスケジュールだ。


コンサート会場に着いて、劇場の美しさに息をのむ。
今日ここで演奏できるのかと思うと、鳥肌が立った。
そして、30分間の現地のメディアとの記者会見。
テレビやラジオや新聞や、いろんな媒体に、やはり何度も聞かれた。
「なぜ、グルジアに来たのですか?」


それから、サウンドチェック。
ピアノを触り、状態を見て、調律師のおじさんに、いろいろ注文を出す。
おじさんは、グルジア語しか話さないので、
コミュニケーションは、ジェスチャーでしか、通じない。
「この鍵盤の(音を鳴らす)、弦は(指を指す)、
嫌な音がします (耳をさして、嫌な顔をする)」
伝えた事がわかると、おじさんが笑顔で、
おじさんは、とても良い人だった。
言葉はひとつも通じなかったけど、私が寒そうにしていたら、
自分の着ていたジャケットを脱ぎ、私にかけようとしてくれた。
会場で、会う人たちは、みんなとても優しい人達ばかりで、
おなかはすいてないか?寒くないか?何か必要なものはないか?と、
とにかく何度も声をかけてくれ、優しさが心にしみた。
お互いの言葉を教え合って、マドゥロバ(ありがとう)、と話した。
「世界ふしぎ発見」のようだった。


7時開場。8時開演。
そして、いざステージへ。
立ち見もいっぱいの、4階まで満席の会場。
初めて来た国の、初めて会う人達。
それを見た瞬間、体のエネルギーが、フルチャージになる
1曲目を弾き終わった瞬間、ブラボーという声とともに、会場が熱気に包まれた。
毎日、その場所でのお客さんとの可能性は、
この瞬間にかかっているといっても、過言ではない。
とりあえず、掴んだ。通じた。繋がった。


覚えたてのグルジア語で、本当にありがとう、と伝える。
ディーディーマドゥロバ。


1曲1曲、まるで自己紹介でもするように、
会場のひとりひとりに向けて、心をこめて、演奏をした。
第一部が終わったときには、拍手が鳴り止まず、
「第二部もあるって、お客さん知ってますよね?」と、
責任者の人に確認したくらいだった。


第二部が始まり、まるで渦を巻くように、
会場がひとつになっていく。
最後の曲が終わった瞬間、一番上の4階まで、総立ちになって拍手
してくれた。


今朝まで足を踏み入れた事がなかった国。
来るかどうか、迷った国。
そこで、出逢った人達が、みんな笑顔で拍手してくれている。
声を上げてくれている。


普段なら、これで、感動して終わるとこだろう。
でも、サプライズに満ちたグルジアは、そうは問屋がおろさない。
深々とお辞儀をして、ステージ脇に帰ろうと思ったその瞬間の事だった。


なんと、昼間大使館で見たグルジアの民族服を来たコーラスグループが(違う人達)、
ステージに立っていたのだ。
私がお辞儀している間に、彼らがステージに出て来ていた事など、
気づく由もなく、びっくりして、うわ!といって、のけぞってしまった。
この間抜けな姿を見て、観客は大笑い。
本当に、どっきりカメラみたいである。


「もしかして、グルジアでは、コンサートの最後に、歌を歌う習慣が!?」と、
パニックしながら、なんとか頭で勝手に理解し、
そそくさとステージを後にすると、お客さんは笑い続けるし、
袖に帰ったら責任者の人に、
「ひろみへの感謝を歌うために、出てきたのに、
あなたが戻って来て、どうするのよ!」と言われ、
(そんなの、わからないよー)と心で叫びながら、
また、そそくさと舞台に戻って笑われる。


2時間にわたるせっかくの演奏を、
台無しにしたかのような失態はさておき、
歌が始まる。
それはそれは勇壮で、おなかの底から、声というエネルギーを通じて、
元気をくれるような歌だった。


そして、終わると、お客さんが、また拍手をして、
今、歌ったのは、コーラスグループの人なので、私も拍手をしていたら、
コーラスグループの人も、なぜか私に拍手をしてくれた。
観客の拍手は、どうやらねぎらいの意味で、
私におくられていたものらしく、
私のとんちんかんな行動で、またお客さんは笑っていた。


朝から、いっぱいいっぱいだったんだろう。
分刻みのスケジュールもしかり、
短い間ながら、一生懸命、
習慣や文化や考え方を理解しようと思うのもしかり。
なぜか、テレビ局がたくさん取材に来た理由も、
日本人だけでなく、
外国人がグルジアにライブをしに来る事自体が、
本当に珍しいからと知った私は、
日の丸を背負っているような気持ちになった。
日本人が17人しか住んでないのなら、
観客が、初めて体験する日本人との文化交流なのかもしれないと思った。


この間まで戦争やクーデターが絶えなかったこのグルジアで、
人が笑顔になっている。
しかも、自分の音楽でだ。
これほどの幸せはない。
主催者の人たちも何度も「ここまで来てくれて、ありがとう」と言い、
コーラス隊を用意したり、出来る限りのもてなしをしてくれた。
お客さんも、みんなそれを微笑ましく見守ってくれた。


コーラス隊がステージを去り、鳴り止まない拍手を前に、
私はピアノに座った。
そして、英語が通じるかはわからないけど、どうしても伝えたくて、
マイクを持った。


「今朝4時に到着して、明日朝4時に出発する。
たった24時間の旅のために、どうしてここに来たか、と
今日何度も聞かれました。
でも、今、どうしてか、それがよくわかりました。
本当にかけがえのない瞬間で、感動して・・・」


話していて、言葉に詰まり、涙が止まらず、
言いたい事を言い終えられないなんて、
生まれて初めてだった。
泣きながら話しても、仕方ないので、とにかくピアノに向かった。
渾身の、Place to be。
新しい居場所を見つけた喜びそのものだった。


演奏し終わり、また総立ちになった会場に、深々とお辞儀をした。
泣いている人が、たくさんいた。
おじさんも、おばさんも、泣いていた。


アンコールを終えてもまだ拍手が続くと、
私は、いつもまた弾く傾向にある。
続く拍手が、「もっと!」という声に聞こえるからだ。
ステージに、再度登場したとき、私は、演奏しようと思わなかった。
こんな事も初めてだった。
別に疲れていたわけではない。
弾こうと思えば、まだ何曲だって弾けた。
でも、そのとき見た会場中の人の顔は、
本当に満たされた顔で、何とも言えない笑顔で、
「出逢えて良かった」という言葉が、会場中から降ってきているようだった。
さっき演奏したPlace to be以上、もう伝える言葉がないと確信した。
そして、「出逢ってくれて、ありがとう」と深くお辞儀をして、ステージを後にした。
それはまるで、お辞儀と拍手で、固い握手を交わし、
また来るよという約束をしたようだった。


ステージ裏に戻っても、涙が止まらなかった。
こんな事も初めてだった。
いろんな人と言葉も交わさず、ハグをした。みんな泣いていた。


あまりの感動に、ぼーっとするも束の間、
3時には、ホテルを出発するので、
お風呂に入って、ストレッチをして、荷造り。
そしたら、もう3時になっていた。


空港に着いて、この24時間に起きた事が信じられなかった。
24時間という時間の使い道には、いろいろある。
この24時間は、これ以上の使い道はなかったと言い切れる。


空港で、ライブの責任者や、協力してくれた人達が見送りに来てくれた。
みんな、目に涙を浮かべている。
固いハグをして、また帰ってくると誓った。
涙あふれる24時間。
一生忘れない。


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