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初代内閣安全保障室長・佐々淳行 震災危機を「管理危機」にするな

 ◆弱い首相の時に大事件起きる

 菅直人・仙谷由人民主党政権で国家危機が起きたとき、本当に大丈夫か?という国民大多数の不安は不幸にも的中してしまった。

 今進行している状況は、「危機管理」に非ず。「管理危機」(レーガン米大統領暗殺未遂の際のヘイグ国務長官の言)である。野党の良識ある「政治休戦」で、土肥隆一衆院議員の竹島韓国領有権共同宣言署名も、菅首相の在日韓国人からの献金問題も吹き飛んだ感があり、「これで菅政権の寿命が延びた」との声もあるが、とんでもない話だ。菅氏は、ある程度、落ち着いたところで、東日本大震災の危機管理の大失敗の責任を取って、総辞職すべきである。

 民主党は、マニフェスト(政権公約)に治安・防衛・外交全般にわたるまともな安全保障政策を盛っておらず、国家危機管理に無関心だ。護民官精神も国家観もない首相・閣僚の資格条件を欠く市民運動家が政権にあったことは、日本国民にとって不運だった。海部俊樹首相下の湾岸戦争、村山富市社会党首相下の阪神淡路大震災とオウム真理教地下鉄サリン事件のように、弱い首相の時に、大事件が起きるという危機管理ジンクスがまたまた当たってしまった。

 何が「自衛隊、警察、消防(ちょっと間を置いて)、海上保安庁の活動に心から感謝」だ。菅首相は全国放映のテレビで空々しい賛辞を口にする前に、「民主党の安全保障行政欠落は政党としての誤りでした。危機管理軽視も反省します。特に仙谷前官房長官の『自衛隊は暴力装置』『海上保安庁は武器を持った集団』という発言は甚だ不当な失言で、仙谷氏に撤回させ、謝罪させます」と国民に謝ってから自衛隊10万動員と言え。

 ◆手の平返し何でも自衛隊頼み

 それも、不見識にも2万→5万→10万と、たった2日の間に危機管理の禁忌である「兵力の逐次投入」の愚を演じ、さらに、戦後初めて予備自衛官の非常招集を行うとは、手の平を返したように何から何まで自衛隊、である。

 仙谷氏も疚(やま)しい沈黙を守っていないで堂々とテレビ会見してもう一度、「自衛隊は暴力装置」と言うか、撤回して謝るか、民主党のためにも姿勢を明らかにせよ。

 公共事業を目の敵にして事業仕分けするから建設業者がブルドーザーなど重機を中国や東南アジアに売ってしまい、災害地の瓦礫を撤去する者が少なく、自衛隊施設大隊に頼らざるを得ないのだ。

 「政治主導」も誤りだった。政務三役で国家危機管理ができるのか? 役人のやる気をなくしたから情報や初動措置が遅れ、「オーダー・カウンターオーダー・ディスオーダー(命令・変更・混乱)」の大混乱が起きている。東京電力と首相官邸の「計画停電」の二転三転、七転八倒はその典型で、目を覆いたくなる醜態だ。国民は懐中電灯、電池、ロウソク、保存食をスーパーの棚を空にして備え、被統治能力(ガバナビリティー)の高さを示したのに、政府側はまさに統治能力(ガバナンス)の低さを天下にさらした。

 阪神大震災の際と比べてよくなったのは、2点である。

 ◆米支援、災対法適用の進歩も

 まず同盟国米国の応援を素直に受け入れ、米海軍の空母、揚陸艦の支援をもらったこと。阪神大震災の時は、村山首相は愚かにも、人命救助よりイデオロギーを優先させ、米国の支援を拒否した。

 もう一つは災害対策基本法を初適用、「緊急災害対策本部」を立ち上げ、首相を本部長としたことだ。災対法では、災害対策本部長は地方自治体の首長、知事または市町村長である。大災害となり複数の自治体に及ぶ場合は、「国務大臣(国土交通相)」を長とする「非常災害対策本部」を置く。

 阪神大震災時、筆者は村山首相に「経済戒厳令」と呼ばれる「緊急災害対策本部」を設置し、全権限を首相に集中する非常大権を掌握するよう強く進言した。村山首相は午後4時の記者会見ではこの進言を取り上げたのだが、周囲の猛反対で全閣僚参加の小田原評定となって大失敗した。ただ、首相にこんな大きな権限を与えると、菅首相の指導者としての資質がまともに問われることともなる。

 今の側近は、未熟、未経験、不勉強で、危機管理の補佐官はいない。今、大事なことは、予備自衛官を招集するより阪神大震災や東海村原発事故を処理した各省の官僚OBを非常招集して地震と原発の諮問委員会を速やかに立ち上げることだ。名指しすれば、元官房副長官の的場順三、外交評論家の岡本行夫、元警察庁長官の国松孝次、元運輸相官房長の棚橋泰、元陸将の志方俊之の各氏らを三顧の礼をもって官邸に非常招集、OBの諮問委員会を設置すべきだ。

 枝野幸男官房長官は、内閣広報大臣としては適任だが、「安全保障会議設置法」では、今回のような大災害の統一的指揮権と責任は官房長官にあり、補佐役は経済産業省原子力安全・保安院ではなく内閣危機管理監であることを思い出してほしい。国内外のボランティアを国が受け入れて、奉仕団を組織するのも国の仕事である。(さっさ あつゆき)


 全文掲載。この提言が将来、どのように生かされるか。


 かえすがえすも残念なのは、このような危機管理能力を欠落させた連中を、我々が「我欲」で選んだということ。
 石原のおっさんの「天罰」発言を責めるのもごもっともだが、少なくとも被害の拡大という点については、欲の為に政治的選択を間違えるほどアホになってしまった結果(それをあのおっさんは「罰」と言ったんだろう)であるという事実は否めない。
 日本国中、あの恐ろしい災害がどこで発生してもおかしくは無い。今突然来ても不思議では無いのだ。まったくもって他人事ではないのに民主党を選んだのは我々国民だ。あの事態を目の前で見るのは正に自分であった可能性が十分あるのにもかかわらず、そんな大切な意思表示(選挙)で取り返しのつかない間違いを「我欲」でやってしまったのだ。しかもその作業にさえ参加しないような情け無い者も相当数いるという事実。こいつらはその責任をどう取るのだろうか?


 阪神淡路大震災のとき、まだ社会人成り立てのペーペーであったぼくはとりあえず自転車で出勤できた。社員の1/4程度は出勤できなかったようで、その連絡等々従事した。
 休日には現地へ向かおうとしたが、尼崎近くまで行って自分の目で見て、自分の非力と甘さを痛感した。神戸方面から来る方々、向かう方々、とても自分一人がヘラヘラ行って何かができるとは思えなかった。迷惑にならないようにと、家に帰って義援金を出すことにした。あのときも被害を拡大させたのは村山のサヨク政権だった。ぼくは今でもあの大分のまゆ毛ジジイを人殺しと呼んでいるが、これはまぎれも無い事実だ。
 そのときに普通に学ぶ能力があれば、危ない連中が政治の世界にいるということも、そしてここまで間違った選択は決してできないことも、わかったはずだ。

 まあそれは置いておこう。
 恐ろしいのは、そんな経験をしても日本人は民主党を選んだということ。なんと理解しがたいことにそれは自民党へのカウンターテーゼとしての空気からなのだ。
 これを愚かと言わずとしてなんと言おう。完全サヨク政党と事実上サヨクに乗っ取られた政党だ。いやその前に危機管理を基本的にしない連中なのだ。国のグランドデザインを描く能力はおろか構想も何も無く、極論を言えば「そもそも危機は無い」とのたまう連中なのだ。
 これはやはり、選んだ我々が何らかの責任を負うべきだろう。危機管理をおろそかにし続け、自衛隊をコケにし続けた(連中を野放しにした)、9条さえ変えようともしなかった(連中を野放しにした)我々がその責任を負うべきだろう。

 それがあの東北の何も悪くない善良な国民である彼らか!とすぐ感情的につっこむ連中がいるが、責任を負うのは我々日本人全体である。石原のおっさんの発言も全文とは言わずに大体を読めばある程度はつかめるのだが、つっこむやつはつっこむ。それが「言霊」の影響も関係していることは理解できるが、耳に痛い、心に痛い話も逃げてばかりではいけない。誰があんな目に遭うか、そんなことは誰にもわからないのだ。どこかに被害が出ることを、心のどこかでわかっていながら、それでもなお危機管理をしない連中を我々国民が選らび、そして犠牲者を、余りに多くの犠牲者を出してしまったのだ。


 我々はここまで愚かになった。ほんの70年ほど前に多くの若者が命を掛けて守ったこの国を、「我欲」が蔓延する「和」を無くした国にしてしまった。
 テレビを見ていてもわかるが、こんな非常時になって「和」が復活しているように見える。現場の多くが都会では無い、「和」の破壊が進行していない地方であるという点が良い方向に作用しているのだろうが、しかし「和」は常に我々全ての日本人のそばにあったはずなのだ。これは日本人の基本的能力であったはずなのだ。

 普段の「和」を破壊すること、すなわち日本(人)の破壊を選択したのは、何度も言うが我々自身だ。
 子を持つ親も、日教組による日本人破壊工作に抵抗せずここまできた。意識しようとしまいと、そういう生活を怠惰に送ってきた。それを反映する政治屋をものの見事に国会に送り続けてきた。
 多くの同胞をキチガイどもに拉致されても、もう実際ほとんど忘れている。現にその関係主要組織がいまだ堂々と日本に居座ってデカイ顔している。それを放置している。
 こんな馬鹿げたことをしてきたお陰で都会は個人の自由万能という殺伐とした無関心社会となった。じいさんばあさんは一人で死んでいくことになった。人として扱われない子供がいる反面、逆に貴族のごとく扱われる子供もいる。そうして育った大人はワタクシの欲望、つまり「我欲」で生きるようになる。既にそれがサイクル化し始めている。

 石原のおっさんは確かに言葉が過ぎる。いつものことだ。
 それ(天罰)とこれ(災害)とは違うという言い分、それはその通りだ。まこと反論のしようも無い。
 このおっさんは政治家だから、言葉は悪いが、これをネタに自分の信じるところに、日本を導こうとしているのだ(ベクトルを負に向けると「誘導しようとしているのだ」という表現もできる)。だが、反省するのは我々も同じことであることに変わりは無い。
 どうだあんた?
「我欲」は有り余っているはずだろう?
 今思えば十分恥ずかしいことだろう?

 ぼくもあなたも、右翼もサヨクも(小市民的心情を言わせていただくと、民主党を選んだ連中に比重を多くしたいが)みんなでこの責任を負うのだ。余りにも愚かな選択をしたこの責任を。

 愚かなぼくらの世代が、日本がこれから立ちなおる為の原点にならねば、せめてその足がかりにでもならなければ、後世の日本人に対して、そしてほんの70年前の男前すぎる若者たちに対して、余りにも恥ずかしいではないか。


 日本は必ず立ち直る。救助されたじいさんがテレビで言っていた。「また再建しましょう!」と。
 大丈夫だ。我々は責任を取る世代。これから生まれてくる「日本人」のために。
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