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■どうしてここまで違うのか

台湾歌人:洪坤山の歌碑、作曲家・加藤さん夫妻ら建立--下松・米泉湖畔 /山口(MSN)
 ◇短歌と音楽で結ばれた友情の証し

 太平洋戦争末期、軍需工場で少年工として働いた台湾歌人、故洪坤山(こうこんざん)さんの歌碑が、下松市の米泉湖畔にある。日本を思う短歌に心を打たれて曲をつけた下関市の作曲家、加藤さとるさん(78)夫妻ら親交のあった人たちが、思い出を刻んで建立した。短歌と音楽で結ばれた友情の証しを知って洪さんの遺族が三回忌を間近にした4月2日、初めて歌碑を訪ねる。【田原和宏】

 種田山頭火の句などに曲をつけて表現するジャズマンとして知られる加藤さんが、雑誌に載った洪さんの短歌を見たのは03年夏だった。

 「北に対(む)き年の初めの祈りなり心の祖国に栄えあれかし」

 日本統治下の台湾で育った洪さんは、1943年、12歳の時に海軍工員に志願した。神奈川や群馬県の工場で働き、苦難の生活を送りながらも恨みを言わなかった。「北に~」は晩年、旧友との再会を機に作ったという日本の繁栄を祈る作品だ。

 洪さんの姿勢に打たれた加藤さんは、「北へ北へ向かって 年の初めに祈ります 心の祖国に栄えあれ」と、言い回しを少し変えて曲をつけ、「第二の祖国へ」として完成させた。妻の歌手、浜崎むつみさん(64)が歌い、CDを作った。音楽活動で30年近く台湾に通う加藤さんらは、CD持参で03年9月に台湾を訪ねた。

 洪さんは肝臓がんを患い、腎臓も病に冒され療養中だった。「10分だけでも」と妻の林振振さん(70)に頼み、車椅子の洪さんとの対面がかなった。加藤さんが「仰げば尊し」と「第二の祖国へ」を演奏すると、洪さんは涙がとまらず、言葉にならなかった。

 洪さんはその後、医師の許可を得て来日、加藤さんと再会したが、04年4月に亡くなった。「何十年来の友達を失ったような思いだった」と話す加藤さん。洪さんを知るゆかりの人に声を掛けて歌碑建立に奔走、昨年11月に完成した。

 知人から日本での様子を聞いた振振さんは感激し、息子2人と来日を決めた。「夫は苦しい思いもしたが、日本が好きだった。感謝の気持ちを伝えたい」と話している。

 迎える加藤さんは、洪さんの思い出を大切に、歌碑の前で「第二の祖国へ」を演奏するつもりだ。

毎日新聞 2006年3月22日


 北に対(む)き 年の初めの 祈りなり

      心の祖国に 栄えあれかし


・・・どうして三馬鹿の連中とここまで違うのか。

台湾には中共の主民族である漢民族が沢山いる。
民族性が、とは漢民族にはあてはまらないが、朝鮮民族には
残念ながら今のぼくの知る数々の事例から判断してあてはまると思う。
漢民族は、これは教育だということになるのかもしれない。

過去の日本の教育受けた人と、暗黒の大陸でロクに教育を受けられなかった人
そして共産党のプロパガンダ教育に洗脳されている人の「違い」。

やはり教育になるのか。
履き違えた自由を与えられた餓鬼とサヨクに洗脳されたその親。

日本がこの「悪夢」から覚めるには、一体どれくらいの時間が必要に
なってくるのだろうか・・・
それまで日本は大丈夫なのだろうか・・・・・・
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